アスタリスクの花言葉 技術だけではゲームは生まれない VRchat

先日VRchat内で有名な技術者が謎解きゲームを作ったというので友人を連れて遊びに行った。しかしそれはゲームと言っていいのか困惑してしまった。

この謎解き(と称する何か)をこれから挑もうとする人は単独、もしくは少人数グループでは解けないのでやめておいたほうがいいだろう。

何故なら

 

・特定の映画の知識(20年以上も前の作品)が必須

・特定のヒントを得るにはリアルタイムの時間経過が必要

・特定のインディーズゲーム(作者が個人的に好きというだけの物)をプレイしないと分からない謎解き

・現実の特定の場所に行かないと分からない謎解き(地方に住んでいる人は交通費をかけて行かなければならない)

・unityを弄らないと解けない謎解き(ゲームをクリアするためにゲームエンジンを弄るというのはもはやゲームから逸脱しているのでは?)

 

…からである。

 

正直これは友人や知人を集めたとしてもクリアできない。もともとの作者の知名度があるゆえに、このワールドは同時接続700人という記録を出したそうだが、HOTな話題であったから瞬間的に700人が集まって何とか作者の出す謎が解明できただけで、数カ月、1年も経てばこの謎をすべて理解できる人間は淘汰され、後から参入した人たちからすれば「なにこれ、わかんね。つまらん。別の所行こ。」で蹴られて終わりだろう。

 

700人同時謎解きイベントと考えて挑めば一体感を得られて少しは楽しめるだろうが、あろうことか注意書きには「プレイ推奨人数3~10人」と書かれており、これも悪手であった。たった10人で上記の作者のエゴを読み取り、実行を出来るとでも言うのだろうか。

(エンディングには「VRchatの全プレイヤー同士が協力する様こそこのゲームの真実」などと哲学めいたことが言われていたが、それならそうと最初のアナウンスでそのように周知するべきであった。)

 

エンディングメッセージを要約すると

 

「コンテンツはすぐに淘汰されてしまうけど、君たちが協力して謎を解いたこの時間はプライスレスでしょ?このゲームの事を忘れないでね」というものであった。

 

これには正直クリエイターのエゴイズムを感じ、憤りすら覚えた。

 

たしかに1つのゲームを作ることは膨大な時間がかかり、プレイヤーがそれを数時間でクリアしてしまうのはクリエイター側からするとつらいのだろう。

なので同人ゲームは「プレイヤーを長時間拘束し、苦しませるもの」が多くなってしまう。超難解な謎解きを課し、無駄な時間経過で拘束し、プレイ時間を引き延ばす。長くプレイしてくれることがクリエイターの報酬になるからだ。

 

しかしプレイヤー側は長時間ゲームに拘束されることを望んでいるのだろうか?

どうやっても解けない謎解きにイライラさせられ、一緒に楽しもうと誘った仲間、この為に仕事や家の用事などを調整してくれて、時間を作ってくれた仲間に退屈させてしまう申し訳なさを感じながら、「せっかく誘ったのに何もできず、時間だけ使わせちゃってスマン、申し訳ない」と謝らなければならなかった。

 

クリエイター側からすれば、大人数が苦しんでいる姿を見てほくそ笑むような愉快さがあっただろう、699人が苦しみながら死んでも、1人でも自分の所にたどり着ければ大満足だろう。しかし699人のプレイヤーはゲームをクリアできない苦しみに苛まれているのである。

正直ギミックとしてはすごい技術であったが、その技術を699人が苦しむものに使うのではなく、700人が楽しめる物に使ってほしかった。

制作者には優れた技術があるのだが、エンターテイメントを作るセンスは無かったようだ。

アスタリスク花言葉は技術者のための技術自慢展であり、みんなが楽しめるエンターテイメントではなかった。

 

現状の日本のVRchatは技術者集まりであるため、この問題をハッキリ指摘する人は少ないが、このゲームがクリエイター仲間の憧れとして受け入れられ称賛されるのか、プレイヤーとしての不満の声が上がるのかで今後のVRコンテンツが技術者のなれ合いコンテンツになるのか、大衆に広く受け入れられるコンテンツになるのかの行く末が見える気がした。